子供が欲しいかわからない!!

girl lady wife ・・・mother・・・ woman

子供がいない は我侭なのか?

 

 ネットや、リアルでも『子供が欲しいのかまだ決められないでいる』というようなことを相談する方が非常によく言われることがあります。

 『欲しいと思っても授かるかわからないよ。』

という言葉です。私自身に言われるぶんには、ごく親しい人からの言葉なので私が後悔しないように言ってくれているんだろうなと思います。私じゃない方がいわれることとしてたまーーに

 『子供欲しいか分からないって、授かるかわからないのに偉そうに・・・。』

みたいなことを仰る方がいますがあれはすこし、あれれとなります。その方はその方で何かしらの苦労や努力があったんだと思うので、悪気ではないと信じたいのですがなんていうか、できるできないの前に『育てられる・育てられない』だと思います。

偉そうにとか、そういうことではなくって実際どっちになるか分からない状態っていうのはどっちにもなるかもしれない状態ってことです。なので、自分が育てられるのかられないのか、って悩む時間は無駄ではないと思います。タイムリミットというか、授かりにくくなるというのは本当に考えておくべき問題なんですけどね。

こんな風に慎重になること自体我侭なのかもしれません。

自分という個人の人生を大切にしているってことですからね。

私はきっと、自分の人生を大切にしています。

それが我侭だって思われるのかもしれません。

けど、私は私の人生と同じように 私の元に生まれてくるかもしれない子供のことも一生懸命考えているつもりです。

私は親元から遠く離れていて、何があっても手伝ってくれる親族はいませんし身体がとても弱いです。

もし、せっかく生まれてきてくれた子供がいても何か不自由な思いをさせてしまうのではないかとか考えてしまいます。

だから、我侭だとか偉そうにっていわれるのを他人様に許して欲しいってわけじゃないんですが、なかなか考えてしまいますね。

自分がどうしたいのかわからないのは、何かをつきつめて考えていないからだと思います。どうするべきなのかなあ・・・

 

 

子供を生んで育てるということに まったくの迷いの無い人もいる。 その2

 

 私は待ち合わせの高田馬場に向かう電車にのりながら、あれこれ考え事をしていた。

まず、開口一番におめでとうございます!と言うべきなのだろうか、それとも噂で知ったことなのだから本人からきちんと聞いてから改めて言うべきなのだろうかとか。

何はなくとも、本当にステキな人だ。小さな花束でも渡そうか。こういう時の礼儀やマナー、お母さんが言ってたことなんだっけ・・・

あっという間に馬場について、私は駅前に先輩の姿を見かけた。いつもと全然変わらない、けれどこの人は一年もしないうちにお母さんになるのだ。

「今日は寒いですね。」

先輩は誰とでもです・ます調で話す。

すぐにおめでとうございます!と白々しく切り出すことは出来なかった。

いつも通り、笑顔でとりあえずロシア料理にしようみたいなことを話す。そういえば妊娠してる人は食べれないものとかあるんじゃないだろうかとか、色々考えて、先輩が食べたいものを食べましょう!とお店を任せた。

お店についてメニューを頼んだら先輩が話し始めた。

「もう知ってるよね、私はもうすぐ入籍するし、来年母になります。」

堂々とそう言う姿は満ちたりて見えて、幸せそうに見えた。

「おめでとうございます!」

精一杯明るく言ったけれど、先輩はすこし苦笑いをした。

「ありがとう。でもね、急にこんなことになってお祝いするほうも驚いてしまうよね。今日は私がどんな気持ちなのか、分かってもらえたらなって思ってあなたを呼んだの。」

その後先輩は私が戸惑ってることまで分かってくれていて、自分がそうしたいというテイで私の疑問に答えていってくれた。

卒業はすること、出産後両親と保育園と協力して、数年後大学院に進んで研究は続けること。そして、計画妊娠であったこと。

「卒業すれば彼は外国に一度帰る。遠距離恋愛が怖いわけではなくて、私は生涯の伴侶にめぐり会った。だから最短で家族になりたい。」

留学生の彼のほうは、30歳に近い年齢で結婚をしてもおかしくなかった。周囲から日本の女性をうまく騙した、というようなことまで言われたらしい。

先輩がいった、生涯の伴侶ということばがその時のわたしに重く響いた。私は付き合ったばかりの彼氏と全然うまくいってなくって、恋愛がちっとも楽しくなかったからだ。

「この人だって思うのってどんな時ですか?」

そう聞いたら先輩はすごく優しい顔で笑ってくれた。

「私、妹がいるよね。妹と姉妹になれて本当に良かったって思ってるんだ。生まれ変わっても姉妹でいたい。彼女と離れていても繋がっているのが分かるの。初めてのことをする時も、おなじみのように感じる。彼と過ごしている時も、それを感じるんだ。そして私は彼と一緒に、同じように姉妹を産みたいって心から願って、それが叶うなら波も怖くないと思った。ハイになってる分けじゃないよ。よく考えたし、両親とも話し合った。驚いたのが、妹も同じように思ってて、そして彼女も卒業前に入籍して国際結婚をするってことかな。」

 

先輩と年子の妹さんが、同じ時期に海外からきた彼と出会って、彼女も同じように国際結婚をするという事に本当に姉妹は繋がっていると思った。その時漠然と、私にはこうやって、今の自分がおかれている場所がどんなふうに誰と繋がって、そしてどうなっていくとか一度も考えたことが無いって思って、自分になんだか恐怖した。

「私、あなたには私みたいにどんなことをする時も、懐かしい楽しさを持ってるそんな人と出会えるって思ってる。あなたがあなたを好きになってほしい。」

私はその当時、彼氏と一緒にいても楽しいのか分からなくなっていた。ただ6個も上で社会人で、いつも落ち着いていて、世の中を冷静にみてる(様に見えた)彼氏と一緒にいられないなら、それは自分が幼くて落度があるような気がして、なんとなく合わせてしまっていた。先輩はそのことまで心配してくれていた。

先輩の忠告を完全に正しいと受け入れながら、私は一人になるのが怖くてなかなか別れることができず、何度もグズグズになって、それで半年してようやくプッツリと別れた。何度も別れているうちに、何度かいっそ結婚しようかという話になった。その彼氏と話した結婚の話はどこか、そうするしかない波のなかに飛び込むようなそうしなくてはいけないような、そうでなければ自分が落伍者のような、そんな見えない何かに動かされていた。

それから何年かたって私は、ちゃんと好きな人ができたし、そしてちゃんと自分でいることもできるようになった。けれど、生活の中に子供の姿を想像することは出来ないままだった。

ある意味で理想化しすぎてるのかもしれないけれど、私はあのときの先輩が言っていた、この子を産めるなら何も怖くない という気持ちがまだ分からないでいる。

簡単にいうと利己的で、臆病なんだ。

出産は命がけだし、産後がどれだけ苦しかったかという漫画はたくさんある、パートナーとかえって距離ができてしまったらどうしようとか、先延ばしにしたい理由ばかり浮かんでしまう。

 

いつかわたしは自分のこの悩みを、幼稚でばかげたことだと断ずるときがくるかもしれない。でも、情けないことに、今の私には大問題で、そしていつか必ず答えをださないといけないことなのだ。

自分で答えをきめなければ、時が答えを決めてしまうのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子供を生んで育てるということに まったくの迷いの無い人もいる。 その1

 

今回は数字が明確なデータもないし、世の中の声みたいのでもなく、ごくごく私的な私の身の回りの主観のお話です。

前の記事にも書きましたが、私はいつか子供を生んで育てるんだろうなってことを漠然とずっと考えてきました。サザエさんのような、三世代同居とかはなくてもああいう感じで、家族や時に祖父母に見守られながらごくごく普通のママになると思っていたのです。

つきつめて考えすぎてもはや好き、と手放しでいっていいのか分からないのですが私は子供も動物も好きです。自分が責任の無い立場から、という言葉つきですが(四六時中彼らといるという体験がないため)とてもいとおしく感じます。

けれど、私が自分の子供を抱きしめて毎日「お母さん」している姿が想像つかないのです。小学生や中学生の頃無邪気に思い描いていたことはあった。けれど年齢を重ねるにつれて、結婚も出産も近くなるはずだがどんどんピンと来なくなっていった。

大学生くらいのとき、それは当たり前だとまわりに受け入れられた。でも結婚はしたいなぁとかわいい友人が言ってるのを笑顔で聞きながら、いつかは私もそんなふうに思うのだろうなと思っていた。けれど、そのふわふわとした気持ちにガツンと叩かれるような衝撃が走る。

バイトも一緒で同じ大学の先輩が学生結婚をすることになったのだ。それも大学に留学できていた海外の人と。先輩は既に妊娠していて、卒業後母になるそうだ。

私は本当に驚いた。

失礼な想像かもしれないが、そういう「結婚そのものがお姫様になるようなことだと憧れている女子」がそういう選択をするのは納得がいく。

けれど先輩はそういう人ではなかった。バイト先で仕事を説明してくれるとき、感動的なまでに無駄のない説明をした上で、私のいたらない所を私が気づかないように、自尊心が壊れてしまわないように、そんな風に教えてくれる人だった。なんというか、人間としての度量が大きく、私は大学生ともなるとすごい人に出会えるものだと思った。

先輩と二人でゴハンにいったりして、彼女とお話をするのが本当に好きだったし思慮深い優しさに何度も救われた。友人であり、先輩であり、ちょっと話し出すのに勇気がいるような真面目な話もとことん話せる人だった。

先輩の両親は大学教授をしていて、先輩も将来は大学院に進み研究をしたいと言っていた。実際に彼女の優秀さは、私の知る限りどこにいっても認められるものだった。

 

その人が大学生で結婚をして、出産をする。

 

私はその先輩の決断にあまり驚き、ちょっと言葉が出なかった。

私は大学に入って、見るものすべてが真新しくてまだ自分が自分以外の人と運命を共にするなんて考えることもできない幼い人間だった。

その時、先輩から電話があって高田馬場のゴハン屋さんで結婚の話をすることになった。

その夜のことはしっかり覚えている。多分なかなか忘れられないと思う。

私の部屋は親元から離れて一人暮らしを満喫してます、という具合に散らかって、冷蔵庫にはミネラルウォーターと化粧水と、母からもらった味噌が入っていた。あとは何もなかった。 

靴はたくさんもっていたけど、狭い玄関に散らばってひっくり返っても気にならなかった。それくらい私は、自分すら管理できない子どもだったのだ。

 

(長いので次回にまわします)

 

 

働きながら子育てをすることは「○▲」に似ている

 赤ちゃんを産むのを迷っているあなたは、今お仕事をしていますか?

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出典http://free-photos.gatag.net/2015/01/02/030000.html ` JacobLower.net

 

 私達が子供の頃って少なくとも今よりずっと、専業主婦のお母さんがいましたよね。もう家庭を守る専業主婦が主流の時代じゃないと分かっていても、出産直後の身体はデリケート、すぐに職場復帰できる!と思う方は稀なのではないでしょうか。

出産をして一体何歳まで子供と寄り添えばその子にとって最善なのか、止むを得ず生活の為に働くとしても出産で一時退職したキャリアがそのまま・・・なんてケースのほうが少ないですよね。私のまわりの男性は学生の頃から「結婚相手には絶対働く人がいい、とにかく働くのをイヤがらない子がいい!」とか「専業主婦になりたいっていうのは自分だけラクをしたい~に見える。」という様なチョット辛らつな意見を堂々と言えちゃう子も結構いました。しかしそれに対して女子も「旦那さんの顔色見ながら何か買いたくない!仕事は続けたい!」「外で違う顔をもっていることが好き。仕事はどんな形でも続けて生きたいな!」という子も結構いましたので、対等な関係が築かれる世の中になりつつあるんだなっていう感じでしたねー。

 

立場は対等だけど、身体にはやはり「違い」がある

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出典 http://free-photos.gatag.net/2014/05/22/230000.html Dean Miocic

女性の社会進出が進み、労働意欲が高まったり、また労働そのものが生活の中で担う役割も単に労働というだけではなくなってきました。具体的には、育児をしていて「お母さん」でいなくてはいけない自分と「自分そのもの」でいる顔の両方を持てて、良い気分転換になると考える方もいらっしゃいます。今までの「男性だからこう」「女性だからこう」というライフスタイルが少しずつフラットになりつつある中、今のところ不変なことがあります。それは「妊娠をするのは女性限定である」ということです。

理解のある男性が増え、手助けをしてくれるとしても具体的に身体に変化を起こし、命がけで出産をするのは身体にあかちゃんを授かる女性のほうです。

それは考え方によっては、逆に女性にしかできない特権と考えることもできるでしょう。女性だけが生まれる前の赤ちゃんを守り、一時的に生命を共にできるのです。

そのような素晴らしい感情とは別に、「実際に臨月には基本絶対労働ができない」とか「アルコールを飲めない」とか「できる・できない」という絶対の制約が与えられるのは女性である私達です。それがどういうことかと申しますと端的に言えば「産むってことは働くってことを少しかたくさん、絶対に休むっていうこと。」です。

出生数と合計特殊出生率の推移

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出典 http://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/whitepaper/measures/w-2015/27webgaiyoh/img/gzh1-1-01.gif


合計特殊出生率(ごうけいとくしゅしゅっしょうりつ、英:total fertility rate、TFR)とは、人口統計上の指標で、一人の女性が一生に産む子供の平均数を示す。この指標によって、異なる時代、異なる集団間の出生による人口の自然増減を比較・評価することができる

合計特殊出生率 - Wikipedia

 

 

よく産んでから「きょうだいも~いたほうがいいわよ~!!」とか言われると聞きますが、これを見ると一人っ子の方っていうのは珍しくないということになります。2を切って久しいですからね・・・。少子化っていうのは私達が生まれる前から始まっていたといっても過言ではないということがこちらのグラフから見てとれます。そしてですね・・・それを都道府県別にしますと以下のようになります

 

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出典 http://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/whitepaper/measures/w-2015/27webgaiyoh/img/gzh1-1-02.gif

お分かりのように、東京が頭一つ低いのです。その他、平均より低いところは基本は大都市を抱える地域だったりします。私は東京に住んでいますが、子育て環境が悪いと思ったことは正直ありません。人によっては、不満もあると思いますしまったく改善点がないとも思わないのですが基本はよほどの環境じゃない限り与えられたものでやっていくしかないと言いますか・・・今運動を起こしても改正される頃には子育て終ってるなあみたいなとっても怠けた考えかたをしています・・・。手当てとかはあったらあっただけ嬉しいですよ!でも正直それは大学にいけないけれど優秀な子供にとかそういう形が・・・と話がそれました!大都市には何があるって、それは「仕事」です。

女性の社会進出のチャンスは大都市ほどあると思います。女性で部長なんていうのも当然ですが全然珍しくありません。それは素晴らしいことだと思うんですよ。今、女性の労働力というのは本当に求められていると思います(税的な意味でも家計的な意味でも)

 

しかし・・・そしたら女性は産むし、働くってことになりますよね?

それがイヤだとか、不公平だ!!!というわけではありません。現に世の中の多くのワーキングマザーの方たちはそれを当然のようにこなし、人生をクリエイトなさっています。ここでいらない個人情報ですが、私はすっごいビビリなんです。なので、私はこの「産むし、働く」ってこと、すごく大きく考えています。

 

産む→ああー女性しか産めないもんね いざ産むとなったら当然ガッテンだ!

働く→それが大切な人と家族を形成したり、思いの人生を運営することならもちろんガッテンだ!

産む+働く→そ、そ、それはなかなか大きな波だな・・・乗れるかな?!

となるわけです。

どっちか一つなら、そういうものだなって思えるんですけどママであるし、社会人である。という顔をもつことがちょっと不安なわけですね。甘えんな!!といわれたら本当にそうなんですけど、どうしても慎重になりたいわけです。何せ、子供はおなかに戻せませんからね、それはとても大事なことだと思うのです。産んじゃえばなんとかなるよ!良い体験だよ!っていう方の顔はとても幸せそうで、本当にありがたいことなのですが私はちょっとビビリなので慎重になっています。

なんか会社員として実績をあげながら、夜はプロの蕎麦屋として職人の味を見せてみよ

みたいな感じがしませんか?仕事はお金をもらっている分遊びではありません、大事なわが子との時間はかけがえがないですが気持ちだけで追いつかない体力勝負な面ももちろんあります。どちらも真剣にやるって、二つの職業に力いっぱいうちこむようでなんだかすっごい不安です。私みたいなものに出来るかな??という不安。

(例えているだけで仕事と子育てを単純に並列に扱っているというわけではありません、どちらも片手間に出来ないというような意味ですのでご安心ください)

 

ということで、ここまでまとめて今回新しく決められたことがあります。

★私にとってもし出産をするのであれば、人生計画をあらかじめ(そんなものを作っても変更になる場合も多々あることは承知です)数年分たてておく 

ということです。

例えば子供を預けるにしても、何歳までの子にはどんな施設が相応しいとか、働く母親を支援するこんな働き方があるよとかそういうこと考えておくだけでも予期せぬことを少しだけ防げるじゃないですか?そして多分、思い通りにいかない赤ちゃんとの対話の中で自分の安定剤になってくれるはず。努力は思い通りの結果を運ばなくてもその努力したっていう事実は自分を支えてくれると思うのです!!

 

 

 

 

リプロダクティブ・ヘルスアンドライツ 

Reproductive Health and Rights

  

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 画像引用元

http://gahag.net/005989-girl-light/

 

本日は用語について勉強していきたいと思います。

皆さんはリプロダクティブ・ヘルスという言葉をご存知でしょうか?

1994年、カイロ国際人口・開発会議で採択された文章に基づいている言葉であり、出産や生理などの現在女性特有である身体の仕組みと共に生きる為に知っておくべき考え方かもしれないと思い、書きます。少し長いですが是非引用した説明を読んでみて下さい。

 

リプロダクティブ・ヘルスアンドライツとは

性と生殖に関する健康・権利と訳される。リプロダクティブ・ヘルスとは、人間の生殖システムおよびその機能と活動過程のすべての側面において、単に疾病、障害がないというばかりでなく、身体的、精神的、社会的に完全に良好な状態にあることを指す。したがって、リプロダクティブ・ヘルスは、人々が安全で満ち足りた性生活を営むことができ、生殖能力を持ち、子どもを持つか持たないか、いつ持つか、何人持つかを決める自由をもつことを意味する。1994年、カイロ国際人口・開発会議で採択された文章に基づいている。(中略)

リプロダクティブ・ライツとは、性に関する健康を享受する権利である。具体的には、すべてのカップルと個人が、自分たちの子どもの数、出産間隔、出産する時期を自由にかつ責任をもって決定でき、そのための情報と手段を得ることができるという権利。また、差別、強制、暴力を受けることなく、生殖に関する決定を行える権利も含まれる。さらに、女性が安全に妊娠・出産を享受でき、またカップルが健康な子どもを持てる最善の機会を得られるよう適切なヘルスケア・サービスを利用できる権利が含まれる。(小原ひろみ)

引用元リプロダクティブ・ヘルス・ライツとは - 国際保健用語 Weblio辞書

 

色んな背景の方が目にすることもあると思いますので、私の考えを書いておきますと私は色んな女性がいていいと思っています。子供を産み育てる事こそ女性の幸せ、自分は最高に幸せだ!と思っている方がいていいと思うし、望んでいたけれど授かれなかったされど別な形の大きな幸福と驚きが人生に待っている、人生は素晴らしい!と思ってもいいと思うんです。そしてもちろん子供のいる人生を望まなかったけれど心から幸せだと思ってもいいと考えています。要は自分の幸せは某みつをさんが仰るように自分の価値観で決めることが最善だと思っています。そこで他人の権利について言及して批判したりするのはもちろんダメですよ!

と、他人に関してはそう言い切ることができるんです。

なのに自分自身に対しては罪悪感があるんです。子供をストレートに望めないなんて、私は母性がないのだろうかとか、子供を授かる事を躊躇するなんてこんな罰当たりではいざ授かりたいと思ったときに後悔することにならないだろうか、とか、どうしても

オートマティックに子供が欲しい、と思えない自分に原罪があるかのように考えてしまうんです。

「子供を欲しいということに理由はいらない。」みたいな刷り込みが一体どこであったのか分からないけれど、私にはあって、でもそれに私の本当の価値観が抗って「私は一体どっちにしたいのだろう。」という気持ちが生まれました。

自分が感じているこの罪悪感が、ただ流されているだけなのかそれとも心のどこかで

子供のいる人生に対して共感が個人的にあるのか、それを見極める為に社会における人生というものの立ち居地を今一度考えてみたくて用語や考え方もご紹介しつつ、お勉強できたらと思います!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生き方について考える(結婚編)

 

あなたは何歳の時、人生計画をたてましたか?

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画像引用元 http://www.gatag.net/09/22/2008/165050.html 撮影者bryce_edwards

年表のような本格的なものじゃなくっても、自分の将来を思い描いたのはいつ頃だったでしょうか。

私はすごく小さい頃、24歳や25歳というのは大人で何でも自分のことを決められるばかりか、お嫁さんになっている可能性まで考えていました。20代後半には何となく、子供が二人いて、旦那様と4人家族で幸せにマイホームで暮らしているのかなあウフフッ何て事を考えていました。

いやいやいやいや・・・いやいや??いやいやいや!!

今ならわかります。自己設定にツッコミをいれる事が出来ます。

28歳で子供が二人いる・・・となると大体何歳で結婚して初産は何歳だったの?大学でたのが22歳、その後どこかで結婚し年子で出産したなら大変だっただろうなあとか、数年あけて第二子だとしても子供のイヤイヤ期と赤ちゃんの育児が重なったりして仕事を続ける場合はかなり大変だったのだろうとか。そもそも専業主婦になる位の世帯年収がある家庭を20代中盤までに築けるかというと確率的には厳しいと思います。

それに【20代後半で、マイホームを都内に持っている】という希少な人間になれることを当然のように言えてしまう。平然と言ってのける!いいですか皆さん、これがチャイルドというやつですよ・・・。私はそこまでバカじゃなかったよ・・・という皆さんごめんなさい。私はバカでした・・・。

そして現在20代後半でお子さんが二人いる方がもしご覧になっていた場合、どうかこれからもお幸せでいてくださいね・・・、とお話はそれましたが、一般的に思い描くステップとして子供を授かる前に【パートナーを決める】という事があります。決めていなくても授かるということはあると思いますが、それについてもまた別記事で触れていきたいと思いますので今回は子供が自分の家族に加わるまでの流れとして【選択した人数が最も多いとされる過程】としての結婚について言及したいと思います。

 

生涯未婚率について

 

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画像引用元 http://farm3.static.flickr.com/2048/2133929130_dc3de13cab_o.jpg 撮影者 Wagner Machado Carlos Lemes

 

皆さんは生涯未婚率というものをご存知でしょうか。

 生涯未婚率とは日本政府が人口の統計において用いている用語であり、50歳になった時点で一度も結婚をしたことがない人間の割合を意味する言葉である

生涯未婚率 - Wikipedia

一度も結婚をしないという人が、日本に何人くらいいるかご存知でしょうか。小学校の近くとかに住んでると、少子高齢化とかどこ吹く風、子供はちゃあんといるじゃないか夫婦も、家族も!!という気持ちでイッパイになりますが、数字は正直です。

 

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画像引用元 

http://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/14/backdata/images/2-1-1-02.gif

厚生労働白書において、2010年のデータでは2010年調査で男性の生涯未婚率が約20%(およそ5人に1人)、女性が約11%(およそ10人に1人)。2015年は推計(日本の将来世帯数より試算)で男性約24%、女性約15%となっており今後も上昇を見込まれています。

つまりそもそも結婚をしない人が増えている。

 

私達は、何歳までに子供がいて当然の前に何歳までに結婚して当然、くらいの年齢を無意識に設定していますが寧ろもう大元の【結婚して当然】という社会の図式が徐々に崩れていっていることが分かります。

これを示すことが何かってやはり、「本当に子供が欲しいの?」と自分に問いかけることはもはや社会悪ではなくて「新しいライフスタイルが創設されようとしている」っていう時期に今きてるということなのではないでしょうか。

もちろん、子供は社会の宝です。自分もその社会に育まれて生きてきました。

しかし私が子供の頃から少子化については問題が議論されてきました。

色んな策を色んな人が講じてきたと私は思っています。それでも進む、非婚化。これはライフスタイルの正道を決めて一本化する、そしてそれを教科書とすることに頼れなくなっているのではないか、ということを筆者は考えます。

赤と黒のランドセルしかなかったから、女の子だし赤を選んだ。

時は進み、水色やピンク、茶色のランドセルもでたからちょっと個性を出して水色を選んでみた。

そんな風に選択肢が増えていく世の中で、あなたは今、子供を生むことをどんな風に思いますか?

 

 

欲しいのかわからない

  

 

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引用元 http://free-photos.gatag.net/2014/12/24/040000.html

 

あっという間に学生時代が終って、普通に大人になってしまった。自立した精神をもってきたはずなのにほしいのかわからない・・・それは。

「子供が欲しいかわからない!」

このブログのタイトル通りのお話です。

私は今、子供がいてもなんらおかしくない年齢を迎えています。しかし、未だに「母親になる」という選択肢について立ち止まってしまう自分がいます。そういう私に対して「考えすぎ、まずは生んでみたら!」「赤ちゃんを見れば自然と母になれる。」といったある種のポジティブなアドバイスだったり、「あなたはまだ未熟というか・・・他人に責任が持てないなんて幼稚なのかもね。あなたとこどもの為にも生まないほうがいいかも・・・」「女性はタイムリミットがあるのよ!いざリミットがきて後悔しても知らないのだから!」というような強めな激励を頂いたりします。

どちらも、善意なのだと思います。というか少なくとも悪意ではないのだと思います。

実際に子供なんて嫌いだったけど、生んでみたらかわいくってしょーがない!という人は身近にいます。ネットで検索すればタイムリミットについて後悔されている人の話も読ませていただくこともできます。そして、どなたかの言葉通り私は私自身が幼稚な為に子供をもつという決断に踏み切れないのかもしれないというような事も、思い当たるフシがあります。

しかし、それは自分ではない人間からの助言であり、有難いことではありますがそれ以上でもそれ以下でもないのです。最後に決めて責任を取るのは当然ながら自分です。

個人差はありますが、世代や環境によって培われた「これが普遍的」というイメージがあります。私にとって、たぶん「結婚しててもおかしくないし、小さな子供がいてもおかしくない年齢」になった今、そのことを考える時間がどんどん増えていきました。

 

ある日新宿で思ったこと。

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そんなことを考えながらも結論はでないまま、周囲から叱咤激励される日々を過ごしていた頃、ふと新宿駅を通りかかりました。もう何度も通った場所なのに、その時はなぜか足を止めてしまったのです。そして考えてしまいました。そこに歩いている人も、車に乗っている人も新宿駅周辺はいつも人がいる。

 

「いったいこの内のどれだけの人が子供がいるのだろう。子供のいる人生を選んだり、選ばなかったりしているのだろう。」

 

そんなことがごく自然に浮かんでしまいました。そして家に帰る電車の中で決めました。子供を生むか生まないか決められない自分がどっちにするか決めるまでを考えるブログを書こうと。

私は自分なりにとても悩んだり、考えてきたつもりです。これからここで、そのテーマについて色んな面からアプローチしていくことで、まだ決められない方、決めた方、決められなかった方のほんのわずかな力にもなれたらいいなと思います。

現時点で私のまわりには「産んだほうがいい」という人が九割います。しかし、私は自分がどんな結論を選んだとしても「産まなかった方」「選択できなかった方」色んな事情があって子供がいない道を歩むことになった方その全ての女性を肯定したいです。

なので、ちょっとだけこのブログについて方向性を決めさせてください。

 

・人には色んな事情があると思うので、こどもと歩まない人生を決めた女性に対して、「産み育てることが正道である」といったご意見はお控え下さい。

・もし意見を書き込んでくださることがあれば、それが助言を越えて相手の尊厳や価値観を踏みにじるようなものでないのかをどうかご一考下さい。

・我侭であったり幼稚な部分があるかもしれません、しかし現状の私がそうである以上日々成長するしかありません。努力していこうと決めてブログを書いていますが、ご不快な場合は閲覧を中止してください。

・気難しそうな面倒なことばっかりいってすいません!中の人はビビリで優柔不断なタイプですがこれを書くことで私と誰かの力になれたらいいなと心から思っていますのでどうぞ雑談などもお気軽に!基本的に誰かをあんまりいじめないでね★くらいのルールです!