子供がいない は我侭なのか?
ネットや、リアルでも『子供が欲しいのかまだ決められないでいる』というようなことを相談する方が非常によく言われることがあります。
『欲しいと思っても授かるかわからないよ。』
という言葉です。私自身に言われるぶんには、ごく親しい人からの言葉なので私が後悔しないように言ってくれているんだろうなと思います。私じゃない方がいわれることとしてたまーーに
『子供欲しいか分からないって、授かるかわからないのに偉そうに・・・。』
みたいなことを仰る方がいますがあれはすこし、あれれとなります。その方はその方で何かしらの苦労や努力があったんだと思うので、悪気ではないと信じたいのですがなんていうか、できるできないの前に『育てられる・育てられない』だと思います。
偉そうにとか、そういうことではなくって実際どっちになるか分からない状態っていうのはどっちにもなるかもしれない状態ってことです。なので、自分が育てられるのかられないのか、って悩む時間は無駄ではないと思います。タイムリミットというか、授かりにくくなるというのは本当に考えておくべき問題なんですけどね。
こんな風に慎重になること自体我侭なのかもしれません。
自分という個人の人生を大切にしているってことですからね。
私はきっと、自分の人生を大切にしています。
それが我侭だって思われるのかもしれません。
けど、私は私の人生と同じように 私の元に生まれてくるかもしれない子供のことも一生懸命考えているつもりです。
私は親元から遠く離れていて、何があっても手伝ってくれる親族はいませんし身体がとても弱いです。
もし、せっかく生まれてきてくれた子供がいても何か不自由な思いをさせてしまうのではないかとか考えてしまいます。
だから、我侭だとか偉そうにっていわれるのを他人様に許して欲しいってわけじゃないんですが、なかなか考えてしまいますね。
自分がどうしたいのかわからないのは、何かをつきつめて考えていないからだと思います。どうするべきなのかなあ・・・